東京スカイツリーの風景
東京スカイツリー下まで散歩
東京スカイツリー下まで散歩しました。完成してからは初めての散歩です。
2年前に散歩した時は、まだ完成前でした。
展望台へのエレベーターがある4階フロアで。車椅子の人達は優先で上れますが、午前中に来れば30分ほどの待ち時間で上れるほどに空いていました。今度は展望台まで上りに来ます。
口唇ヘルペスが発症し、かゆくて唇の水ぶくれを手でこすってしまい、水疱が破れて何度も出血しました。
疲れやストレスがたまって体が弱っているときに発症を繰り返す皮膚病だとか。このところ、下痢が続いていたので体力が落ちたのかな。
近所の皮膚科を受診し飲み薬と塗り薬を処方され、5日ほどで唇の荒れが無くなって全快しました。
101歳を目指して一日でも長く、元気な毎日を過ごして欲しいです。
東京スカイツリー見物と、100歳になってしまった母

右の高層ビルは、地上31階建ての東京スカイツリー イーストタワーです。
土台が3本柱なので、上部が丸で下が三角形のいびつなタワーです。地下3階の下には、基礎部分が地中50mの鉄筋コンクリート杭が埋まっています。
東京スカイツリーは、来年5月22日に開業ですので、今度行く時は展望台に登らせようと思っています。
帰りに、墨田区横網公園内の慰霊堂に寄って、お参りして帰りました。
慰霊堂裏の納骨堂には、東京大空襲(昭和20年3月10日未明)で亡くなった母の義父の遺骨が安置されています。
母は慰霊堂内で手を合わせながら、100歳になりましたと義父に報告していたので、お母さん100歳になったの? と聞くと、うなずきながら、大正2年11月10日生まれだと誕生日を言いました。
昨日まで98歳だった母の記憶が、今日100歳に変わってしまった。
最近、母の記憶力が落ちてきたように感じていたが、ついに自分の年齢が分らなくなったのか。明日からは、私の名前の確認と、年齢の確認もしなくてはならない。
100歳と言ったのには、普段に100歳まで頑張ってねと、ことあるごとに言っていたからだろうと反省。
認知症介護の本に、「お年寄りで、死にたいと言ったことのない方はいないのではないでしょうか」と書いていたのを読んだことがあります。母も死にたいと言わない日がないほどです。
今まで楽しい話をしていても、突然に悲観的になって、迷惑ばかりかけるからもう死にたい、死んでもいいなどと口にし、そんなこと言わないで、100歳まで頑張ろうと言っていました。
何度も言った100歳という言葉が、母の記憶力に悪い影響を与えたのか、やはり認知症の症状が出てきたのだろう。
一日でも長く、元気な毎日を過ごして欲しいです。