誕生日
皆さんに支えられ104歳の誕生日を迎えられた
認知症から言葉を忘れ、問いかけの返事にもうなずいたりするだけになってしまいましたが、大正2年11月10日生まれの母に104歳の誕生日がやってきました。
具合が悪くなったりすると、お迎えがきてしまったかと思うことも何度かありましたが、バイタル機能は正常で誕生日の今日も元気です。
今日は訪問看護士さんが来られる日で、耳掃除をしていただきました。
手が空いていた看護士さんも後から見られ、バースデイソングで祝ってくれました。
元気な誕生日を迎えることができたのも母がお世話になっている、訪問入浴、訪問看護、訪問診療、ケアマネの皆様のお陰だと感謝します。ありがとうございました。
やはり身体の衰えなどは1年前と比べると嚥下機能などが落ちているので、105歳を望むのは高望みかもしれませんが、1日でも長く元気で居て欲しいです。インフルエンザが怖いので散歩は暖かくなるまで控えようかな。
毎日ベッドの枕元に寄り添ってくれていた 猫の舞は、突然亡くなってしまいました。具合が悪かった母の代わりに逝ったように感じます。
103歳の母と19歳の猫の舞
102歳の誕生日に「さて103歳はやってくるかな」と書きましたが、103歳の誕生日、無事やってきました。19歳の高齢猫の舞も元気で、毎日ベッドの枕元に寄り添ってくれてます。
車椅子に座っていると前に倒れてしまうのと、寒くなったので病院などの用が無いと散歩に出る事がなくなり、出かける時も着替えない、パジャマの毎日になってしまいました。
意思の疎通が効かなくなりました。写真を撮るから笑ってと何度も言ったのですが、最後まで笑顔の顔を撮る事が出来ませんでした。変わりに舞ちゃんが微笑んでくれました。
先週インフルエンザの予防注射しました。この冬の寒さを乗り切って、来年また散歩に出かけたいです。
102歳の誕生日が来た
今年は2度も入院したので、誕生日まで無理かもと思った時もあったが、大正2年11月10日生まれの母に102歳の誕生日が来た。
朝(昼のときもあるが)目覚めると「おはようございます。今日もよろしくお願いします」と、はっきりした声で言う母。認知症がかなり進み、ほとんどの言葉が理解できなくなるほど記憶力の低下がひどいのに、律儀な性格は消えていない。
勤めを辞めて母の介護に専念したのは4年前の8月。このブログもその年の9月に開始している。4年前の98歳の誕生日
さて103歳はやってくるかな(^_^;)。一日でも近づけるよう、頑張らない介護をしなくては。
101歳の誕生日
大正2年生まれの母、平成26年11月10日で、101歳の誕生日を元気に迎えることができました。お世話になった皆様ありがとうございます。
朝の第一声で、「ここどこ? 馬鹿になったみたいだ。何も分からない」と言う母。びっくりして、名前は? 生年月日は? と聞くと、ちゃんと答えられたので、寝ぼけていたのかなと安心したことがありました(^_^;)。
自分でも記憶力が無くなっているのが分かるようです。認知症の症状は1年前よりは多少進んでいますが、それほどは悪くなっていないです。
散歩に出ると生き生きしています。町の風景や行き交う人々、車の騒音などが良い刺激になるのでしょう。
100歳の似顔絵
今日は2ヵ月ごとに受診する 順天堂東京江東高齢者医療センター メンタルクリニック科の受診日でした。
毎日元気に生活していますか? 食事は美味しいですか? 好きなテレビは見ていますか? の先生の質問にも、母はしっかりとした答え方をしていました。
病院の帰りに、昼を食べたビルのフロアで似顔絵描いていたので、100歳の記念に描いてもらいました。
101歳の誕生日を元気に迎えることが出来たら、また描いてもらいに来ますと約束しました。一日でも長く、元気な毎日を過ごして欲しいです。
100歳の誕生日
大正2年11月10日生まれの母、100歳の誕生日を迎えることが出来ました。
誕生日のケーキを食べ終えてから、デパートで買ったお刺身と赤飯が知人から届きました。夕飯時頂きます。ありがとうございました。
40年ほど前に88歳で亡くなった祖母から、母は本当は9月生まれだと聞いたことがあります。千葉県の山奥の田舎では役場も遠く、届け出た頃の日付にしてしまったとか。
亡くなるまで認知症ではなかった祖母ですが、思い違いだったのかも、真実は不明です。一日でも長く、元気な毎日を過ごして欲しいです。
敬老の日のお祝い
百歳前ですが、敬老の日にあたり、内閣総理大臣、都知事、区長、町会からお祝いの書状を頂きました。
中でも江東区からの書状は額縁入りで、金一封付き。
そして町会からも金一封を頂いてしまい、申し訳なかったです。ありがとうございました。
2・3ヵ月に1度の 東京江東高齢者医療センター に行ってきました。時間予約していますが、いつも1時間以上は待ちます。
今日は1時間40分待ちました。診察は食事は美味しいですかなど日常の様子を聞かれ、投薬と次回の予約で3分ほどで終了。
行きは介護タクシーを予約しますが、帰りはタクシー代がもったいないのでいつも電車です。
門前仲町駅には、東西線から都営大江戸線への乗り換えエレベーターが設置されてないので、地上行きのエレベーターで途中下車して、深川のお不動様にお参りしてから帰ります。
一日でも長く、元気な毎日を過ごして欲しいです。
白寿を迎えました。
平成24年11月10日、99歳の誕生日を迎えることが出来ました。
11月6日の東京新聞の読者欄に 入院で自立機能失った という記事が載っていました。
母も6月5日から1ヵ月近く 今年2度目の入院 して、退院した時には自力で立てなくなっていて、先生にも高齢だから1週間でも寝たきりだと歩けなくなると言われていました。
現在は、リハビリの甲斐があり、伝い歩き出来るようになりました。母の強い自立心が回復させたのだと思います。手を貸そうとすると、いいから、自分のことは自分でするからと手をはね除けます。
自立心も助かるのですが、目を離すとトイレで失敗してウンチまみれになってる事もあります。
昨年の誕生日 の頃は認知症がほとんど見られなかったのですが、認知症の薬を飲んではいるのですが、最近は症状が進んできて、自宅と介護ホームの区別がつかなくなって、私を介護ホームの人と思い込んでいたりします。
昔の記憶は驚くほどに良く覚えているのですが、、、。
この冬肺炎にならず、無事にやり過ごせたら100歳も夢ではないと考えていますが、認知症が進んで何もかも分からなくなってしまうのでしょうか。
一日でも長く、元気な毎日を過ごして欲しいです。
68年ぶりの「三石山観音寺」参詣
