退院しました。病名は肺炎と心不全
猿江恩賜公園(10月23日撮影)
今日、12月17日昼前に、救急病院から退院しました。
入院した時には、心臓が弱っているとの母の担当医の先生(院長)の話でした。
今まで入院した病院では、入院して検査結果が出てから、こういう治療をする旨の説明がありましたが、この病院ではありません。
入院して2日目、ナースステーションに母の病状を聞きに行くと、病室で待つようにと言われて待っていると、院長先生が初めて部屋に来て、入院診療計画書にペンを走らせながら、肺炎なので1〜2週間の入院治療が必要とのこと。
入院患者の母には目も向けないまま病室から出て行きました。
点滴に来た看護師さんに、「母の病名を知っていますか?」と聞くと、「心不全でしょ?」。肺炎のことは知らなかったようです。
母が入院した事を、近所の知人などに報告して、病院名(東京都指定救急病院)を言うと、一人は入院経験者でしたが、四人から悪い評判を聞きました。
心配になり、近所の行きつけの、内科医院の先生に相談に行くと、先生の方から、「〜〜病院でしょ?」と先生のほうから病院名を言われた。「あの先生は長く入院させるから」とも。
酸素吸入と肺炎の治療薬(ミドシン)を点滴注射してもらい、入院した翌日には、もう母は元気になっていて、早く帰りたいと言う。
入院5日目に、回診にきた院長先生に退院をお願いしました。
「順番があるんだ」とムッとした様子でしたが、明日レントゲン検査して、結果が良ければその翌日退院しても言いとの事。
入院後、母は酸素吸入のホースを顔に付けていたのですが、酸素量が3リットルだったダイヤルを、1リットルに直すように看護師さんに指示していました。
退院をお願いしたら、その酸素吸入を外すように指示して、母の酸素吸入を中止してしまったのには驚きました。
検査も終わっていないのに、酸素吸入はもうしなくっても良いのか? だったら、今までやっていたのは何だったのだ。
回診に来ても、ベッドの母を一度も見ないまま出て行きました。内科医の先生なのに、機器検査だけで聴診器は使わない先生のようだ。
こっちから退院を言わなければ、多分もう1週間は入院させられたと思います。
病状が回復して良くなっているのに退院させない、脱走した方もいたとかの話を院内で聞いて、坪内ミキ子著「母の介護・102歳で看取るまで」に、「病院は病人を作る」と書いてあったのを思い出しました。
母は、家では自力でトイレにいけますが、オムツ生活の入院が長引いたら、動けなくなってしまうのではと心配でした。
治療してくれた、看護師さん、介護師さん、理学療法士さん、スタッフのみなさんは、良い方ばかりでした。「ボケちゃうから早く退院しなさい」と言ってくれた方も。みなさん、ありがとうございました。
母は入院中に、何度も同じ事を聞いてきたりとか、私のことを誰なのかを確認するようなことを言ったりしました。認知症の症状でしょうか。
一日でも長く、元気な毎日を過ごして欲しいです。
コメントする